「虐待の淵を生き抜いて」   島田 妙子氏   

「もうアカン、これで私はもう死ぬんや・・・」   

父に風呂水に沈められた私は、そう思いました。

小学校一年生の終わりから中学二年の初めまでの6年間、私と二人の兄は、父と継母から毎日のように、暴力をふるわれてきました。

毎日のように暴力と暴言が続く中で、風呂水につけられた私は、『これで私が死んだら、こんな生活はもう終わる』と感じたのです。

この時、すぐ上の兄が助けてくれたので、命は助かりましたが、その後も、私だけでなく、兄たちも何度も殺されそうになりました。

もともと、とても優しかった父。再婚相手に気を遣うように、私たちにしつけと称して殴るようになってしまった父。一旦壊れた感情は、クセになっていってしまったのです。

私は現在、児童虐待だけでなく、DV、パワハラ、モラハラ等、怒りの感情やきつい感情をつかってしまっている方への感情表現を更生する活動をしております。

私自身も三人の子を授かり育ててきました。「私は絶対に優しいお母さんなる!あんな辛い目にぜったいあわせない!」と心に誓った私でしたが、子育てする中で、感情に苦しんだ時期がありました。人は追い詰められたり、いっぱいいっぱいになると、その溢れる感情を人にあたるか、モノにあたるか、どちらにもあたれないと、自分にあたってしまいます。私も我が子に感情を溢れさせてしまった時、ふと父を思い出しました。

父は、私たちを殴ってしまった一発目のあと、謝ろう、謝ろう・・・と思っていたそうです。でも、子どもに対してしてしまった理不尽な行動に情けなさ、惨めさを感じたそうです。そして『コイツらは、もう俺のことを鬼やと思っているはずや・・・』と自分の心に落とし込んでしまったそうです。謝るはずが、私たちと目があった瞬間、「なんやその目は」と、また手が出てしまったのです。

優しかった父が、たった一言謝れなかったために、次への暴力に至ってしまったことに、私自身が、子育てする中で、大人がしてはいけないことをしてしまった時に、どういう対応をするかによって、その後の人生までも変えてしまうことに気づきました。

散々暴力を受けながらも、私は「違う、何かの間違いや、お父ちゃんは悪い魔法にかかってるだけなんや、そう、いつか絶対に優しかったお父ちゃんに戻ってくれるはずや」といつも心に言い聞かせていました。だから、まわりの大人たちにも絶対に言わずに我慢をしてきました。

ただ思春期に入った中学一年生の時には、私の感情もいっぱいいっぱいになり、「もうダメ、もう死にたい」と呟いたことがあります。

『私が死んだら、これでやっと父は気づくだろう・・・。』

でも、その時すぐ上の兄に怒られました。「アホか!何で俺たちが死ななアカンのや!妙子、あと少しの辛抱や、中学卒業して義務教育が終わったら堂々とこの家を出れる!一緒に働いてアパート借りよう。だから頑張ろう」

この兄は、年子の三兄弟なので、小さい方の兄ということで「小兄(しょうにい)と呼んでいました。この小兄は、とにかく妹思いの優しい兄でした。

誰かが殴られていても、かばうと、かばった子がもっと殴られるので、兄弟の中では、かばわないとみんなで決めていました。でも、私が殴られているといつも泣きながら助けてくれる兄でした。

『小兄がいてくれたら頑張れる。あともう少しの辛抱・・・』

中学二年になりました。私は中学を卒業したら和歌山県に行って、温泉の仲居さんになろうと決めていました。当時、中卒で働けるところは限られていましたから、寮もついて働けそうな気がしていました。

『あと二年や・・・』

そんな時に、私の運命を変える出会いがありました。

私たちの命を救ってくれた女性教師との出会いでした。私は『大人なんて絶対に信用しない』と心に決めていたのですが、この女性教師との出会いは、その後の私の人生や生き方までも変えてくれたのです。この先生、あだ名がマッハ先生と言います。

当時27歳、体育教師で9ヶ月の赤ちゃんがいて、とても元気いっぱいの先生でした。先生は産休明けで私たちの学校に赴任してきました。

当時私たち兄弟は、ガリガリの栄養失調でアザだらけ。今ならすぐにでも通報されているはずですが、今から30年も前の事ですから、親が「これはしつけですから」と言われてしまうと、家庭の問題にそこまで踏み込んでいけない時代だったのかもしれません。

そんな中、マッハ先生はすぐに「何かおかしい」と察してくださり、私たちにストレートに聞いてくださいました。「親から暴力受けてるんやろ?」

私は、あまりのストレートさに、ドキッとしながらも、いまさら本当の事を言うわけにはいかない、言えばきっと殺されると思っていましたから、「これは一番上の兄とケンカして・・・」なんてごまかしました。

でもマッハ先生は確信していたそうです。

それから一ヵ月後、酔った父に首を絞められる事件がありました。この時は、今度こそ死ぬかと思いましたが、今まで一度も助けてくれたことがなかった一番上の兄、大兄が父を突き飛ばして助けてくれました。そして突き飛ばされたことに腹を立てた父は、そこにあったガラスの灰皿で、大兄の頭を殴ったのです。泥酔状態だったから、よろめきながらだったから、少しの切り傷で済みましたが、大兄は軽い脳震盪を起こしていました。頭から血が出ていました。

『もうイヤや・・・もう無理・・・』

翌日、学校に行くと校門に立っていたマッハ先生が私に駆け寄ってきました。

「なんかあったな!」私の表情はよっぽど悲壮だったようです。

「あんた、大丈夫か?」

私は、これまで、誰に聞かれても、「大丈夫です・・・」「大丈夫です・・・」

そう言ってきました。

「あんた、ほんまに大丈夫か?!」

マッハ先生の力強い言葉に、私は思わず、「だ、大丈夫じゃない」と首を初めて横に振っていました。私の口が勝手に喋ったのです。

『大人なんて信用しない』そう決めていた私は、先生を信用するとかしないとか、そんなことなにも考えていませんでしたが、心は自然に先生を信用できる大人だと認識したのだと思います。昨日の事件のこと、そしてこれまでの6年間のことを、溢れさせました。

ここからは、あっという間でした。その日に親を呼び出し、毅然な態度で、「親であってもやったらアカンもんはアカンのです。他人を殴れば傷害罪で捕まるのです。今後もし暴力の形跡があったら私はすぐに警察に通報します。そしてこの子たちは帰しません」

そう言ってくださいました。そして先生は、六年間暴力を振るい続けた親に救いの言葉を言いました。

「お父さん、お母さん、あのね、昨日までの事はもういいです。昨日までのことは、もうどうでもいいです。だってね、戻れないから・・・。だから今日からは頼みますよ」

この言葉、私もずっと使わせていただいております。人はやってはいけないことをしてしまうこともあります。そして自分の力では戻れなくなっていくのです。

後悔と罪悪感を感じながらも、罪悪感の連鎖に苦しんでいきます。

そんな時に、「昨日までのことはもういい・・・」という言葉は、本来の自分に戻れることができるかもしれない魔法の言葉だと思っています。

ただ、あまりにも長い間、暴力や暴言をし続けてきた父にはこの言葉が届きませんでした。いや、マッハ先生の勢いに聞こえなかったのかもしれませんね。

私は、その日長かった虐待の淵から抜け出すことができました。

マッハ先生とは、約一ヶ月でのお別れになってしまいましたが、児童養護施設のある校区の中学校に転校することになりました。

もしも、マッハ先生と出会っていなかったら・・・と思うと今でもぞっとする時がありますが、たった一人の先生との出会いで、私の命が今こうしてあるのですから、すごい事だと思います。

『私もマッハ先生のような人になりたい!』

この思いもあって、現在の活動をしているのかもしれません。

養護施設に入って一年半後のクリスマスが近づいたある日、父から電話がかかってきました。父と普通の会話など長い間していませんから、電話に出るのは躊躇しました。受話器を耳にあて、「もしもし」とは言えずに、咳払いをしました。電話の向こうの父も同じように軽く咳払いをして、その後「妙子か?」と言いました。私は「うん」とは言えずに、「なに?」少し冷たい感じで言ってしまいました。

「悪かった・・・」

「え?」

「悪かった、ほんまに悪かった、許してもらおうとか、そんなんで電話したんと違うんや、でもほんまに悪かった。それだけ言いたかったんや・・・」

そう言って、電話を切りました。

私は、なんともモヤモヤした気持ちでした。『いまさら、そんなこと言われて私はどうしたらええのん・・・』

でも、ふと、『あっ、そうか!もしかしたらお父ちゃん、元に戻ったんや!優しかったあのお父ちゃんに戻ったんや!』と嬉しくなってきました。

私がマッハ先生に助けてもらったあの日から一年半かけて、振り切っていた心のメーターが、戻ってきたのだと感じた私は、心から嬉しくなりました。

共に虐待をしていた継母とも、直後に離婚をしたようで、つい最近、小兄が父の暮らす家に戻ってきたことも養護施設の先生に聞き、父はやっと感情が戻ったのだと確信しました。

「私も一度家に帰ってみたい!」

その一週間後、施設ではクリスマス会があるので、みなで準備をしていると、私宛にまた電話が入りました。「また、お父ちゃんかも」今度こそ、私も優しい言葉をかけてあげたいと思いながら電話に出ると、父ではありませんでした。

救命救急病院からでした。

「お父さんが、自殺を図り、危険な状態です」

頭が真っ白になり、その場にしゃがみこんでしまいました。

施設の先生が、私を病院に連れて行ってくれましたが、ICUの中に入ると、異様な光景ばかりで、まだ中学生の私はめまいと吐き気がしてしまいました。

酸素マスクやたくさんの点滴をされた父は、私の知っている父とは別人のようでした。

お酒と排水溝の詰りを溶かす劇薬を一緒に飲んだとのことでした。

『なにやってるねん・・・私たちに名誉挽回せなアカンやろ』

私は、悲しみよりも怒りの感情が湧いてきました。

『このまま逝ったらアカン』

結局父は、42歳という若さで空に昇ってしまいました。

それでも自殺行為から、約8ヶ月生きていました。

私も兄たちも、行ける限り病院に通い、父の手を握ってあげることができた。父の背中をさすってあげることができたことは、罪悪感に侵されたまま死んでいかずに、そのことだけは良かったと思っています。

小さな罪悪感は味方になりますが、大きすぎる罪悪感は心の毒になってしまいます。

私たちの心をかき乱し、大切な人との関係をぶち壊しにしてしまいます。

しかも一旦心が罪悪感に侵されると、それを取り除くのは容易なことではありません。

一度芽生えた罪悪感が、数年~数十年にわたってつきまとうという研究結果もあります。

心に巣食った罪悪感は、私たちの心と体に様々な悪影響をおよぼします。

『父のような人を助けたい』

現在私は、「罪悪感解消プログラム」を元に、罪悪感に苦しむ方の心を助けたいと活動しています。

共に虐待をしていた継母は、50歳という若さで団地の一室で孤独死しました。

彼女のその後の罪悪感もかなり重かったそうです。

そして、私をいつも支え助けてくれた小兄は父の死んだ歳よりもまだ若い40歳という若さで、亡くなってしまいました。急性骨髄性白血病でした。

38歳で突然病気を発症し、二年間の闘病生活で二度の骨髄移植もしましたが、最後は肺炎で亡くなってしまいました。

あれだけ虐待を受けながらも、生き抜いてきたはずなのに・・・。

小兄は病床で私にこう言いました。

「人はいつ死ぬかわからへん・・・生きたいと強く願っても死は避けられない」

「自分の寿命も教えてもらえない、たった一度きりの人生、いのちや」

「お前は、自分が辛かった過去のことで、いま苦しんでいる人を助けていける人間やから、たくさんの大人の心を救っていくんやで」

この言葉の二週間後、小兄はお空に昇ってしまいました。

兄の亡骸を前に、二週間前に小兄の言った言葉の返事をしました。

「小兄、うん分かった!私は生きてる!動ける!何でもできる!もう二度と不平不満言わない!生きたかった人の分も私は生きていく。」

そう誓いました。

「お父ちゃん、小兄、元気にしてる?私はめっちゃ頑張ってるで。あ、上から見てるよね。お父ちゃんも、小兄もちょっと先に行っただけやね。そちらで私を見守っててや。そして、私がそっちに行ったときには、いっぱい褒めてな・・・」

<プロフィール>

島田妙子 しまだたえこ

1972 年 神戸市北区生まれ。

4 歳の頃、両親の離婚で兄二人と児童養護施設に入所。

7 歳の時、父の再婚で家庭に復帰したが、継母と実父による壮絶な虐待が始まり、  何度も命を落としかけた。

現在は、関西約 130 園の学校・幼稚園・保育園の『想い出のアルバム』DVD・Blu-ray ソフト制作会社を経営。

一方、アスペルガー症候群の長男を含む 3 人の子を育てている。

2010 年末、心の支えであった次兄が白血病で他界した。

これを転機に兄の思いを引き継ぎ、本当の意味での「児童虐待の予防」にむけての自叙伝を執筆するとともに、「大人の心を助ける」講演活動を積極的に行っている。

「虐待」だけでなく、「命」「愛」「子育て」「障がい」「介護」の幅広い内容により、中学生から大学生、保護者、行政職員、教員を対象に講演活動中。

・株式会社イージェット 代表取締役会長

・一般財団法人 児童虐待防止機構オレンジCAPO 理事長

・兵庫県児童虐待等対応専門アドバイザー

・一般社団法人 日本アンガーマネジメント協会認定

・アンガーマネジメントファシリテーター

・アンガーマネジメントキッズインストラクタートレーナー

・一般社団法人認知症予防緩和協会認定脳美学インストラクター

・罪悪感解消プログラムトレーナー

執筆書籍

『e love smile~いい愛の笑顔を~[memory.1]』

『e love smile~いい愛の笑顔を~[memory.2]  発行:株式会社パレード

『虐待の淵を生き抜いて』 発行:毎日新聞出版

<メディア掲載情報>

msn 産経ニュース『虐待超えて タエコの40 年』6 回連載

MBS 毎日放送 ドキュメンタリー『映像’ 12』(2012年4月22日 OA)

MBS 毎日放送 報道番組『VOICE』(2012年5月25日 OA)、

NHK 大阪放送『かんさい熱視線』(2012年11月2日 OA)

京都新聞福祉コラム

女性自身「シリーズ人間」(2014年5月6日号)

産経NET『虐待を超えて タエコ訴える』

産経新聞 連載1話~30話、

PHP ヒューマン・ドキュメント(2015年1月号)

読売新聞 全国版『顔』

婦人公論ドキュメント

BSジャパン『グッドマザーズ~母から生まれたすべての人へ』

等、その他多数

「命のリレーコラム」繋いで頂いた方々

都鳥伸也氏袴田俊英和尚藤澤克己氏川浪 剛氏

浦嶋偉晃氏久保田千代美氏岩崎順子氏谷 正義氏江口日登美氏

岩本ひろ子氏林 静哉氏柳岡克子氏石黒大圓氏⇒島田妙子氏

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