奈良県のホスピスとがん医療をすすめる会 副会長                                      浦嶋偉晃(ひであき)氏

『病がくれた人生の目的』

それはある朝、突然の出来事でした。
いつものように会社に行こうと起床し、洗面台に向かい、鏡を見た瞬間、「なんだ、これは!」、「鏡に映っている物体は誰なんだ」。鏡に映っているのは、勿論私。
その瞬間、頭に血が上り、発狂したように、布団に行き、枕を投げつけました。
妊娠3ヶ月であった妻が驚いて私を見たので、これは拙い、妊娠している妻に心配を掛けれないと思い、すぐに着替えて会社へと向かいました。
会社に行っても、鼓動は激しく、仕事にならず、自分でもこれはどう考えても精神的な疾患だと分かったのですが、今から19年前です。神経症など、とても人に言える病気ではありません。
しかし命の危険を感じ、会社の産業医のところに飛び込み、症状を説明したところ、産業医も緊急性が分かり、私の上司には、盲腸の疑いがあると説明してくれ、すぐに神経科に医師に繋いでくれました。

それからが病との激しい格闘の毎日でした。病名は、「離人神経症」。原因は不明。
自分でもそう簡単には治らないと分かりました。
とにかく自分が誰だか分からないのが恐ろしかった。自分の写真を見ても誰だかわからない。
妻も、両親も誰だか分からない。つまりこの病は「自分が自分の精神過程または身体から離れて外部の観察者になったかのような自己の知覚または体験の変化」と定義され、具体的には、自我意識に関する訴えとして、 自分が存在する実感がない、自分が見知らぬ人間であるように感じる、自分が生きている感じがしない、自分の体が死体・ロボットのように感じる、自分の体の実感がない、つまり魂と肉体が別々のものに感じるのです。

その中で仕事は鬱病と違って仕事が原因ではないので、会社は行き続けました。
妊娠している妻には内緒にしていましたが、ふとしたきっかけでばれ、仕事のノイローゼと嘘をつきました。また診断がつくまで、薬を何度も変え、副作用も激しかった。ただただ主治医を信じるしかない。離人症との闘いは激しく辛く、会社、上司との関係性が無茶苦茶になり、またこの期間は自分が何をしていたのか、今でも記憶がありません。
その中で待望の息子が誕生したのですが、その大きな喜びがあっても全くマシにならない。
この頃にもう病との戦いに疲れ切り、このまま治らないのなら、生きていても仕方がない。死んだ方がましだ、と初めて自殺がよぎり、毎日どうして死のうか考え続けました。
会社では上司から神経症にかかるのは、気合が入っていないからだと叱責され、また環境の変化を求め、異動を願い出て、受理されたのですが、そのことによって前上司の怒りを買い、また新たな上司からも叱責を受け、再度の人事異動がありましたが、ようやくここで何かが開け、病との共存が出来、病と闘わない、ということができるようになりました。

3年の月日が経っていました。異動による環境の変化が、思いもよらない効果があり、自分でも知らないうちに仕事に対するストレス、つまり鬱病も同時に患っていたのです。
しかし充実した仕事は1年と続きません。勤務先が会社更生法の申請による事実上の倒産、ここで見た大リストラの地獄の人間模様に見て、深い絶望感に陥り、これからの人生、何を求めて生きていけば良いのが、全く分からなくなっていました。
そんなときに、ふと出会ったのが新聞に載っていた心理カウンセラー養成講座でした。
「そうだ、自分が辿った道を、他の苦しんでいる人に生かすことができれば」と思い、すぐに申し込みをしました。
さあ頑張ろう、と思った矢先に、今度は父が脳梗塞で倒れ、父の看病により3ヶ月で体重が10㎏の減、不整脈の発症と苦難が続きました。
その中で、やはり自分にはこれしかないんだと思い、カウンセリング学校へ通いだし、カウンセラーを目指しました。自分の経験を元に、神経症の人たちの手助けになればと体は辛いけど、充実した日々であり、たくさんの同志と出会いました。
その中で、淀川キリスト教病院の柏木哲夫先生との出会いが、その後の私の人生の目的を決定づけました。
「ターミナルケア」、こんなことがあるのか、とても衝撃的でした。
その後は地元の奈良で、施設ホスピスの設立活動につとめ、また在宅ホスピスの県民に対する啓発活動をさせていただいています。
このような辛い体験は誰でもあることだと思います。特別なことではない。
ただ病を経験したことによって人生において、したいことが見つけられたことが自分とって病気は必然だったのだと思います。

「<わたし>は「他者の他者」としてある。<わたし>は、わたしでないひと<他者>にとって、そのひとが無視できない別の存在<他者の他者>でいると確かに感じるときに、まごうことなき<わたし>となる。」
他者の気持ちの宛先であるということ、言い換えると、他者の中にじぶんがなんらかのかたちである意味のある立場を占めていると言うこと、このことを感じることで、生きる力が生きる力が与えられる。
だれかある他人にとって自分がなくてはならないものとしてあるということを感じられることから、こんな私でも生きていていいのだ・・・という想いがそっと立ち上がる。わたしという存在に顔がよみがえる。
だから、命の根源を考えされられる、今の在宅ホスピスの啓発活動が楽しい。
「他者の他者」、人の役に立てることによって自分というものを感じている。
これは離人神経症を患って、一度は自己喪失をしたことも影響している。

「みとりびとが、いく」という死生観を語るブログを尊敬する大阪 大蓮寺の秋田光彦住職と共同執筆させてもらい、一市民の立場で死生のあり方を語っています。
読んでくださった人が少しでも考えるきっかけになれば、自分の生と死や、生きる意味について少しでも考える機会になってくれたらと思っています。
そして世の中にはこんな人がいて、こんな考えで、こんな活動をしておられるというのを紹介できたらと思っている。そしてその人達から刺激を受けてもらえれば幸いです。
仕事、家庭とのバランスに悩むことも多い。子どもとの時間、両親の介護など。
でも家族は理解してくれている。
このようなことをして何になるのかは分からない。ただ心が要求している。
なんだかんだと文句を言いながらどこかで受身でいる市民、「なにもできない」と始めから諦めている市民、その人達が受け身から能動的に翻ることができるように。
今は会社でも鬱病にかかる人達が多い。そんな世の中の風潮を変えたい。
そのために何か自分が企業人として役に立てないかを考えています。

命は果てしなく尊い。しかし私は離人神経症に苦しんでいた時、自殺を考えた。今振り返っても、身の毛もよだつ思いですが、そのときはそれしか道はなかった。
だから、苦しんでいる人の苦悩はよく分かる。
私は、今もまだ鏡を見れない状態、つまり自己を認識できない時があります。また薬もおそらく一生手放せません。
でも生きているから出会いがある。
出会いがあるから、生きていたいと思う。
そんなことから、病で苦しむのも必ず意味があると思っています。

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「プロフィール」
奈良県のホスピスとがん医療をすすめる会 副会長
1961年、大阪生まれ、現在は奈良在住。
関西大学法学部を卒業後、大阪に本社があるドキュメント機器メーカーに勤務。
1995年に神経症にかかり、それ以来、生と死を深く意識し、現在は奈良県内で住み慣れた自宅で最期を迎えられる、「在宅ホスピス」の普及に取り組む。
また仏教にも深い関心を持ち、生と死をともに考えようという思いで、大蓮寺住職 秋田光彦さんと
ブログ「みどりびとは、いく」を共同執筆。
現在の主な活動に、「奈良県のホスピスとがん医療をすすめる会」副会長、
日本尊厳死協会」関西支部理事 「日本在宅ホスピス・緩和ケアネットワーク」理事 など
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「命のリレーコラム」繋いで頂いた方々
都鳥伸也氏袴田俊英和尚藤澤克己氏川浪 剛氏

⇒浦嶋偉晃氏⇒久保田千代美氏岩崎順子氏谷 正義氏江口日登美氏

岩本ひろ子氏林 静哉氏柳岡克子氏石黒大圓氏⇒島田妙子

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