看護学校教員(看護師)   久保田 千代美氏

『いのちをつなぐ』       プロフィール写真

 

 動物も人間も植物も自分の生命を次の世代に引き継ぎます。私のこの身体も遠い祖先から受け継がれてきました。けれども血のつながりだけが受け継がれて今の私があるのではありません。これまで出逢った方々との関係性の中で私の「いのち」ができています。

広島で、あの日(1945年8月6日)の翌日、私の祖父である父の父親が亡くなりました。職場の建物の中での被爆だったので、なんとか息のあるうちに見つけることができて家族で看取れたのはよかったと祖母はよく言っていました。あの日のこと、あの日から後のことなどは祖母からは、聴くことはありましたが父からは一言も聴いたことがありませんでした。

父は1人で10年間広島を離れて働きました。再び広島に戻ってからは、病気で入退院を繰り返し、10年の闘病生活の末、52歳でなくなりました。けれども、あきれるほど前向きでポジティブな父を前に、私は父の苦悩を理解しようとしませんでした。お人よしで甘やかされた人だからと思っていたからです。危篤状態になった父が、亡くなる前に一時的に意識が戻ったとき「歩きたいよ」と叫ぶようにいいました。この叶えられない希望に、初めて父の悲しみを共に感じました。けれども「歩きたい」という希望を持ったまま旅立つことができたと、私たちは思いました。少なくとも絶望の淵に死んでいったのではないと思いたかったのです。

戦後69年、これまで口を閉ざしていた方々が、あの日のことを語り始めたと、特別番組で語られる81歳の方の話を聴きながら父のあの日に重ねました。あの日のことを話さないのは父だけではなかったのだと思いました。

12歳の中学一年生であった父が、記憶を語るにはあまりにも悲惨であり辛かったこともあるでしょう。非常な状況の中で必死に生きることは、あらゆる感情を使うことができなかったのではないかと思います。父親を失った悲しみを家族で看取れてよかったことに置き換えることの苦しみ、建物疎開の作業に行った同級生は全員が亡くなったという事実は、同級生を失った悲しみと生きているという喜びは、自分だけが助かったという苦しみになったかもしれません。それは、自分の存在さえも否定したくなる苦しみです。その苦しみを語るには、父にも60年の年月が必要だったはずです。父は、その苦悩を自分の中に封印してあの日から40年後に逝きました。

父が病気にもかかわらず自分の人生を前向きに生き抜いたのは、孤独ではなかったからかもしれません。人と比べることをやめたのかもしれません。人との関係の中で父は自分の「いのち」を精一杯に生きていたのではないかと思います。父の言葉を聴くことはできませんでしたが、終末期の苦悩に苦しむ人の言葉を聴くこと、そして、在宅で療養する人が幸せに過ごせるように援助することが私の希望になりました。

苦しみを抱えた人は、病気や死を前にした人だけではありません。日常の苦しみを聴きあい、理解しあおうとすれば、争いは起きないのではないかと思います。大きな世界の中で血のつながりだけではなく、人との出逢いと関係によって存在している「いのち」を次の世代につなげていくことが大切なのではないかと思います。b018lin
プロフィール
久保田 千代美(くぼた ちよみ)
1960年広島県広島市生まれる。看護師として総合病院勤務。
1990年結婚、出産を機に退職し、子育てに専念、ガールスカウトやPTA活動に励む傍ら
在宅緩和ケアを実践することを目標に学習。
2004年から介護支援専門員として在宅支援に関わる。
2006年から訪問看護師として在宅緩和ケアを実践。
現在は看護学校教員。在宅ホスピス緩和ケアのネットワーク作り、アドラー心理学に基づく子育て勉強会のボランティアをしています。
猫と花が好き。
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「命のリレーコラム」繋いで頂いた方々

都鳥伸也氏袴田俊英和尚藤澤克己氏川浪 剛氏

浦嶋偉晃氏⇒久保田千代美氏⇒岩崎順子氏谷 正義氏江口日登美氏

岩本ひろ子氏林 静哉氏柳岡克子氏石黒大圓氏⇒島田妙子

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