「寝たきりになるけど、私の未来はきっと明るい」                    落水洋介氏

私の病気は、原発性側索硬化症(PLS)という100万人に1人の難病です。筋委縮性側索硬化症(ALS)という病名であれば、ドラマや映画化されていたり、話題になったアイスバケツチャレンジなどのチャリティーでご存知の方も多いと思います。しかし私の病気は、お医者さんですら知っている人はほとんどいないような希少過ぎる病気なのです。

PLSを簡単に説明すると、足がどんどん動かなくなり、手がどんどん動かなくなり、少しずつしゃべれなくなり、数年かけて寝たきりになる病気です。症状は、ALSに非常に似ています。

一般的には2~5年が余命とされるALSと比べると、進行が少し緩やかとされていますが、私が唯一インターネットで発見したPLSの方の記事では、発症して6年で寝たきりになったと書いてありました。症例が少なすぎるために情報もなく、今後どのように病気が進行していくのかは不明です。だからこそ私は、今を大切に生きていくしかありません。

現在発症してから4年ぐらい経ちましたが、手すりなどをつたって少し移動することは何とかできています。移動では両手で手すりをしっかり持ち、筋肉ががちがちに緊張して棒みたいになった両足を少しずつ前に出します。

しかし病気の症状が腕や体感にも出ているため、杖を使って歩行することはできません。手の力が弱いので、杖を持ってもそこに体重をかけると手がぶれてしまい、逆に危険になってしまいます。手動の一般的な車いすでは、スロープや段差を越えることが難しいため、電動車いすに乗っています。

食事では箸を使うことが難しくなり、スプーンやフォークを使うようになりました。また、口の筋肉も同様に使えなくなっているので、噛むことに時間がかかってしまいます。飲み込む力も弱くなり、すぐにむせるし、大きなものは飲み込めません。また、食べ物を沢山口の中に入れると、口の端から食べ物が飛び出してしまいます。

言葉を話すことはできますが、会話は以前の3倍ぐらい時間がかかり、少し話すだけで疲れてしまい、大きな声も出しづらいです。

近い将来、自分が寝たきりになる未来を想像しながら生きる日々。何を考え、何を糧に、何をよりどころに生きていくのか。

今後はさらに身体が動かなくなって、自分一人だけでの外出はできなくなります。食事もトイレも全てにおいて他の人の手を借りなければできなくなり、しゃべることすらできなくなる未来が待っています。

私はもともと、健康だけが取り柄だと思っていました。風邪もほとんどひいたことはありませんでした。そんな私が突然、100万人に1人の病気になってしまいました。人間は生きていると、いつ何が起こるか分からないことを身もって知ることが出来ました。

病気になった当初は人生のどん底を経験し、最悪の未来しか見ることが出来ませんでした。そんな私でしたが、少しずつ明るい未来を描くことができるように変わってきました。今は夢もでき、毎日楽しく生活しています。

私はこのようなとんでもない病気にかかりましたが、人生の中で今が一番幸せだと言えます。これは嘘でも強がりでもなく、心から本気で思っていることです。

病気をする直前までの仕事では、先輩と事業をしていたのですが、自分達ではどうしようもないようなトラブルが続き、事業がなかなかうまくいきませんでした。

そんな中で先輩が体調を崩し、営業を私一人で回ることも増えてきました。そこに追い討ちをかけるようにトラブルが起こり、私は妻に内緒で借り入れをして会社に資金を入れ、そこから給料をもらうような生活をしていました。もちろんそんなことは長続きするわけがなく、給料が遅れたり出なかったりで、家庭での居場所も完全になくなってしまいました。口を開けばお金のこと、そして言い争いの繰り返し。お互いに、会話をしたくないような状況が続いていました。

職場でもお金の問題やトラブルが続きましたが、何とか立て直してやる。そして何より取引先に迷惑はかけられないし、先輩を見捨てられない。今は自分しかいないんだ、という思いで毎日駆け回っていました。

でもお金のことに関しては妻に引け目を感じていましたし、こんな思いをずっと持ちながら生きるのは耐えられない。「あなたのせいで・・・」という目で見られ続けることに対して劣等感を感じつつ、一方では「俺も精一杯頑張っているんだ」という思いが交錯して頭が狂いそうでした。

その頃には、私の身体も悲鳴を上げていました。眠いのに脳だけが沸騰しているような感覚で、夜はほとんど寝られず、昼間はずっとだるく、食欲も全くなく、食事は夜に一食しか食べない生活でした。

真冬なのにスウェットまでびっしょり濡れてしまう程の汗をかき、夜中と朝方二度にわたり全身着替えなければならない状態。悪夢のような夢を見続けるなど精神的に追い詰められ、目の前を走る車がぶつかってきてくれないかなどと本気で考えていました。

そしてついに、家族にはこれ以上迷惑をかけられないし、耐えられないという思いで転職しました。やっとお金の問題が一つ解決した。一から頑張ろう、と考えていた矢先での病気でした。一難去ってまた一難。このままでは会社にいられなくなるし、いられたとしても居場所がないとか、給料が下がるとか、そんなことばかり考えていました。もう以前のように、お金で妻と揉めることだけは勘弁だと心の底から思っていました。

そして会社にはこの病気が原因不明であること、どのように進行していくかはまだ分からないことを伝えました。しかし、病気の進行が止まることはありませんでした。焦れば焦るほどに少しずつ、少しずつではあったものの、でも着実に足は動きづらくなっていきました。

病気は進行し、営業職から内勤の仕事に移動になりました。いつまで今の職場で働けるのかという心配が出てきて、妻との言い争いも増えました。お金のことを言われると、私も素直に受け入れられず、いつもぶつかるようになりました。直接お金のことを言われているわけではなくても、全てそこにつながっているようで、何を言われてもピリピリして、「どうせ俺は役立たずだよ!」といつも卑屈に考えていました。お互いに言い争いが絶えない日々の中で、妻はもちろん、私も疲弊していきました。またしても最悪だったお金で揉めるあの日々が返ってくるのか、と考えるだけで耐えられませんでした。

会社でも家庭でも、私の居場所はない。俺だって必死で頑張ってるんだ!と言いたかったけど、そう言える相手はいなかったし、妻とそんな話を冷静にできる状態ではありませんでした。しかも今回ばかりは再起不能。こんな病気になり、一般の会社で今のような給料をもらうことは不可能だとしか考えられませんでした。

他の仕事をいろいろと調べてはみるものの、身体が動かなくなっていく私にできる仕事なんてなくて、少しでもこの会社に居続けられるようにしなければならない。障害者雇用でもいいから、何とかして自分の居場所を作らないといけないと考えていました。

しかし度重なる会社との協議の中で、一旦治療に専念し、その後考えようという決定が下されました。この時には杖をついても歩行が困難な状態になっていました。そして治療法がない私からしたら、これが事実上の退職勧告でした。

病気になり、外に行く時は必ず誰かが一緒にいる生活に変わりました。心配していろいろ動いてくれる家族がいる生活。なんかそれが嫌で、自立できていないようで、恥ずかしいし劣等感やいろんな気持ちが重なって、優しくしてくれる親ともうまく向き合えなくなってしまっていました。助けてくれる友達にも、何か申し訳なさのようなものをずっと感じていました。

そんな時、あるフォーラムで聞いた言葉が、「自立しているというのは、相互依存関係が高いこと」でした。依存できる人、支えあえる仲間、助けてくれる人が多ければ多いほどいろんなことができる。つまりそれは、自立しているという考え。自分にはなかった考えで驚いたけど、なんか腑に落ちました。

人に依存することは悪いことではなく、誰もが必ず依存して生きている。極端に言ったらご飯食べるのも、農家に支えられ、スーパーに支えられ、やっと料理をして食べられる。一人では何もできなくて、もともとみんなに支えられているんだなと気づきました。あるIT企業の方から「たとえ落水君が出来なくても大丈夫、回りのできる人にやってもらえばいい。ITの分野なら僕がいるし大丈夫。」と励ましていただき、考え方が大きく変わってきました。

障害を持ち人に依存することへの恐れ、申し訳なさや劣等感が常にあったけど、考え方を変えることで楽になれる。ただ、相互依存関係が高いということは、私にも依存してもらわないといけない。そのために私はこの身体の障害を武器に、多くの人に愛されるような人間力をつけなければならないと強く思いました。そのためにも、どんな状況に置かれても、前向きに頑張っている姿を見せ続けようと決めました。

「人は一人では生きていけない、社会ともっともっと繋がってこそ人は価値を持つ」とフォーラムで聞きましたが、とにかく積極的に自分から外に出ていき、人との関わりを増やし、自分の価値を自分で作っていこうと思うようになりました。愛されて周りに沢山助けてくれる人間がいる人は、依存度が高いから自立できる。何でもできる。今の私は助けてもらう事でしか生きていけないけれど、これでいいんだなとも思えるようになりました。

自立するということをこんな感じで考えられるようになって、気持ちがすごく楽になりました。今では沢山の仲間を作り、依存度が高い人間になろうと前向きに考えています。

 私は病気になってから、絶望の未来をずっと見ていました。身体が動かなくなり寝たきりになること、仕事が出来なくなり家族のお荷物になるという最悪な未来ばかりを見ていました。病気になってしまったことは、いくら考えても変える事が出来ないのに、頭はそのことに囚われて自分の心が壊れそうでした。

変えられない過去や起こってしまった出来事を思い悩む時間は、私にはもうありません。沢山の友人や尊敬する人の言葉に励まされました。そして病気でも、私より想像を絶するような状態でも、前向きに生きている方々の本や映画にすごく勇気をもらいました。ALS患者の玄三さんは寝たきりで、しゃべることも、自発呼吸もできないのに、楽しく生きていける事をSNSで教えてくれました。

人間は、自分が見ようとしたものしか見えないそうです。例えば部屋の中で赤色のものを沢山見つけようと意識した時には、他の色も目に入ってはいるものの、無意識に見逃してしまうように人間の頭は出来ているのです。

私はどうせ見るなら最悪の未来ではなく、明るい未来を見ると決めました。それから私の人生は、明るいものに変わってきました。

  私は、PLSという病気になってしまいました。どんどん足が動かなくなって、どんどん手が動かなくなって、しゃべることも食べる事も出来なくなり、数年後には寝たきりになってしまうような病気になってしまいました。普通に考えるとすごく可哀想に感じられるかもしれませんが、私は今が人生の中で一番幸せです。

でも、なぜこんな病気なのに幸せなのか。それは些細なことや、今まで当たり前だったことに感謝できるようになったからです。足が普通に動いて歩けたことに「ありがたかったな」と感謝できます。手が普通に動いたことにも「ありがたかったな」と思えるし、普通に喋れたことにも「ありがたかった」と本気で思えます。友達がメールをくれたり、電話をしてくれること、遊びに連れ出してくれることも、以前は当り前のことでした。でも今はそんな当たり前だったことに「ありがたいなー」って本気で思えます。

些細なことや当たり前のことに感謝できるようになり、身の回りにありがとうが一杯になりました。そんなありがとうの気持ちで一杯の私は、こんな病気にかかりましたが今が本当に一番幸せです。

  ただ、私は幸せですが、家族が幸せかというとそれは別物です。まだまだ課題だらけです。妻や子供もおり、両親も兄弟も寝たきりになる私が心配だと思います。もちろん経済的な問題も多々あります。これからは、家族に心配されないように、家族を幸せにしないといけません。

そして私には夢があります。それは、寝たきりになってもできる仕事を沢山作り、沢山の「ありがとう」をもらいながら毎日楽しく過ごすことです。そのことを考えると、ワクワクドキドキして楽しいです。

人はどんな状況になっても夢を持つことが出来るんだということを、私は身をもって経験することが出来ました。やりたいことはまだまだ沢山あります。全国を講演して回りたいとか、障害者の仕事をつくりだすとか、障害者と健常者の触れ合う場所を増やしたいとか、障害者が住みやすい街作りに携わりたいとか、パラリンピックに携わりたいとか。もっともっと、言い出せばキリがありませんが、全部実現したいと、本気で考えています。

夢はいくつあってもいいと思うし、どんな状況でも年齢も関係ないと思います。夢があるから私は頑張れます。夢があるから楽しいです。笑顔で沢山の仲間を作り明るい未来を作っていきます。

寝たきりになるけど、私の未来はきっと明るい。そう信じて、明るい未来を見て生きていきます。
<プロフィール>
落水洋介(オチミズヨウスケ)
職業・無職
無職になってから2年の活動
小学校、中学、高校、大学、企業、病院、施設などでの講演活動
北九州で一番元気な難病患者として1年で50回以上の講演
【TV取材・新聞掲載など】
・TBS 夢の鍵 ・テレ朝 ヤベッちFC ・FBS めんたいプラス
・NIE 熊本復興支援 ・NHK ハートネットTV ブレイクスルー
・NHK おはサタ
・西日本新聞(てくてく北九州) ・スポーツ新聞各社 ・東洋経済オンライン
・天狼院書店

1982年生まれ、福岡県北九州市出身の35歳。学生時代はサッカーに明け暮れ、小学校時代は元日本代表大久保嘉人と北九州市の選抜チームで一緒にプレーする。
自然派化粧品の営業、商品開発の経験を経て2014年31歳の時に体に異変を感じだす。
そして2016年に会社を退社して歩けないようになり、車いすでの生活が始まる。

私の病気はPLS(原発性側索硬化症)という100万人に1人の誰も知らない難病。
少しずつ足が動かなくなり、少しずつ手が動かなくなり、少しずつしゃべることが難しくなり、数年後には寝たきりになる難病。
最悪の未来しかイメージできなかったが、行動を起こすことで少しずつ明るい未来が見えてきた。いろんな人に支えられることで、夢ができ、仲間が増えて、今は明るい未来に向かっている。
寝たきりになってもできる仕事をたくさん作って楽しく毎日過ごすという夢に向かい、現在は電動車いすで活動中。
地域の小・中学校、高校へ行きキャリア教育を中心に、ユニバーサルマナー講師や学校や企業での講演活動、ライブイベントへの出演、こども食堂など精力的に行っている。
2016年の熊本地震後、自身の経験とネットワークを活かして、ボランティアに参加したり、熊本支援のためシャンプー&トリートメントを開発し被災地支援を行っている。

“病気をしたけど今が一番幸せ”“楽しく生きる”など語るテーマは様々だが聞き手に合わせながらも、病気になったからこそ伝えられる言葉を発信している。
しかしいつまでしゃべれるか分からない中で、話して伝える以外の仕事もつくっていかないといけない。
現在寝たきりになってもたくさんの仕事を作り、夢を叶える旅を続けていて、着実に仲間を増やしている途中であり、夢に向かってワクワクする毎日を過ごしている。

「命のリレーコラム」繋いで頂いた方々

都鳥伸也氏袴田俊英和尚藤澤克己氏川浪 剛氏浦嶋偉晃氏久保田千代美氏

岩崎順子氏谷 正義氏江口日登美氏岩本ひろ子氏林 静哉氏柳岡克子氏

石黒大圓氏島田妙子氏⇒落水洋介氏

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